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フランツ・ハイネル(ドイツ) |
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●1994年12月23日生まれ(28歳) |
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ドイツの自動車メーカー、シュトロブラムス社の御曹司にして、自らドライバー、マシンデザイナー、またチーム監督もこなし、八面六臂の活躍を見せた。レース活動は15歳でカートに初参戦したのが始め。CFへは17歳の時、第6回CF.G.P.Xにスポット参戦という形でデビュー。翌年、ZIPレーシングへ移籍し、初のフル参戦シーズンで6位という成績を残す。第8回大会は9位に終わったが、その次のシーズンは初PPを獲得するなど、自己最高となるランキング3位を記録する。この3年間の成績で自らのドライバーとしての実力を周囲に認めさせたうえで、父が兼任で社長の座に就いているS・G・Mへと移籍する。ここで、デビューした頃から提唱していたリニアホイール搭載マシンを引っ提げての参戦を果たす。彼のもうひとつの顔であるマシンデザイナーとしての面を表に出し、これまでとは違った戦いとなったが、マシンとしての初勝利を挙げてランキング5位に入り、リニアホイールの性能を自らの腕で証明してみせた。だが、翌年シュトロゼックプロジェクトを興すにあたって、新開発したシュティールの性能を十二分に発揮するにはフィジカルの優れたドライバーが必要なことを悟り、シートをジャッキー・グーデリアンに任せて、自らはその新チームのトップとしての仕事に専念することになる。しかし、第9戦のスペインでグーデリアンが負傷して、その代役として日本GPに出場したことにより、翌年から再びドライバーに復帰。そしてその年1勝してランキング4位、2018年にも1勝してグーデリアンを上回るランキング3位となるなど、ドライバーとしての力をあらためて世間に見せ付けることとなった。2019年にはグーデリアンがタイトルを獲得したことでデザイナーとして頂点を極めるが、そのマシン開発に時間を取られてドライバーとしては成績が下降線をたどることになる。そして、チームとしても低迷していく状況を立て直すため、再びドライバー引退を決意。最後のレースを2位表彰台で終えて、自身の花道を飾った。 |